牧師 高橋勝義 |
〔民数記21章1~9節〕
約束の地を目指すイスラエルは、カナン人アラドの王と戦いましたが、何人かが捕虜になったため、この民を渡してくださるなら、彼らの町々を聖絶いたします、と主に誓願をたてます。主はこの願いを聞き入れ、イスラエルはカナン人とその町々を聖絶し、その場所の名をホルマと呼んだのです。しかし、エドムの地を迂回して葦の海の道を進む民は、「われわれはこのみじめな食べ物(マナ)に飽き飽きしている」と神とモーセに逆らったのです。
そこで、主は民の中に燃える蛇を送られ、多くの者が死んだため、民はモーセに助けを求めます。主はモーセに、燃える蛇を作りそれを旗ざおの上に付け、それを仰ぎ見れば、かまれた者はみな生きると語られます。民は、主のことばを信じて旗ざおの上にある青銅の蛇を仰ぎ見ると、蛇が人をかんでも、その人は生きたのです。
青銅の蛇を仰ぎ見れば生きると語られた主のことばを民が信じたように、使徒パウロは、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです(ローマ10:9)」と語りました。
それは、私たちがまことの神に従わない罪の刑罰を受けなければならない存在であるにもかかわらず、イエス様が私たちの罪の身代わりとなって、ご自分のいのちを贖いの代価としてささげられたことによって(マルコ10:45)、神は私たちの罪を帳消しにしてくださったからです。ですから、家柄、地位、富などでなく、また、行いによるのでもなく、イエス様を罪からの救い主と信じる信仰によって私たちは救われるのです。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です(Ⅰコリント1:18)」
牧師 高橋勝義